「さっきの見して」

 一足早くアマトリチャーナを食べ終えた良大が手を突き出した。青葉は口の中身を呑み込むと、弦楽器五台の写真を開いてスマートフォンを渡す。今、自分は見てわかるほど得意げにしているだろうか、それとも嬉しげにしているだろうか。

 クラシック音楽の好きな者たちが集まっているのだから、肯定的に受け取ってもらえるのではないかと期待してはいた。望んだ以上の好評だった――という印象は、愛のおかげで底上げされている気がするけれど。自分が――男が――持ってきたことについても、何も言われなかったし、変な目でも見られなかった。

「迫力だったなあ、弦」

 力も鉄板の上に残ったコーンをつつく手を止める。

「なんか一瞬で感覚が麻痺してて、木管見たとき少ねえなって思った」

「四十台の弦を見た後じゃな」

「貰った方は、誕生日プレゼントなわけ?」

 写真から現物へ急に話が飛ぶ。そういえばもうじきだが、

「姉ちゃんの友達のお母さんに誕生日把握されてないよ、俺」

「え、じゃあなんでくれたの」

「……褒めたから?」

「いやいやいや」

 やっぱり気前がよすぎるよな、と力の反応に内心頷く。姉が平然としているから、それこそ感覚が麻痺しかけていた。

 まさか自分に、わざわざ改めて作ってくれるとは、十分に予想外であったにせよ。

「人に見せる機会があんまりないみたいだから、嬉しかったんじゃないかな」

「まあわかんないこともないけど……って、そういや俺まだ金管見てねえわ。オミに占領されたから」

「ん」

 聞きつけて、良大が力にアルバムを譲る。テーブルに置いたままの良大自身のスマートフォンが、ちょうど通知に震えたところだったから、そちらの返信を優先することにしたのかもしれない。妙にしかつめらしい表情だなと思ったそばから頬を緩めて、

「ティンパニもあんのな」

「うおーマジだ。花みてえ」

 金管楽器を通り抜けて、その先も見ていたらしい。力の感想は色合いのことだろう。薄緑のベースに緑のケトル、(まく)は色違いでピンクと黄色になっていた。膜の色は濃いものと薄いものがあるから、それで四種類だ。あれは青葉としては(ばち)が気に入っているのだ、先端がパールビーズでできていて。

 ティンパニの先にも続くのだと教えようとして、躊躇(ためら)った。一気に見せると一つ一つのリアクションが薄くなりそうで、惜しく感じたのである。とはいえ、一つ一つ丁(ねい)に観賞していくのは時間がかかるし、同じ熱量は流石(さすが)に保てないだろう。思い直して口を開くよりも、だが、良大の方が早かった。

「この人と仲いいの、おまえ」

 目を(しばたた)く。何の話が始まったのかわからなかったのと、やけに真剣に見えたのとで。

「姉ちゃんと友達はめっちゃ仲いいけど」

「貸してくださいって言える感じ?」

「本物見たいってこと?」

 力が補足を試みる。良大は両手を水平にして、辺り一帯を示すときのようにぐるりと宙を滑らせた。

「これが、演奏会やるときに、ロビーに置いてあったらどうよ」

 ――その光景は半分まで容易に想像できた。幾度か使っている会場だから、ロビーは目に浮かぶし、机を置くならあの辺りだろうかという見当もつく。

 残りの半分、フェルトのオーケストラも、青葉は何なら良大以上に鮮明に思い描けただろう。あの写真群をどれだけ見返して、どれだけ思い返したか。

「おお、かっけえな」

「だろ」

 力のシンプルな賛同に、俄然、良大は生き生きとしてきた。

 それは勿論(もちろん)、OBオーケストラの演奏会を盛り上げるための案である。主眼はこちら側であって、フェルト側ではない。では、あるが。

 一度全部並べてみたい、と語る作者の娘の声が蘇った。(せっ)(かく)だから楽器のわかる人に、という希望も。

 作者本人も――喜んでくれるだろうか?

「メインの編成に合わせるとかして。あ、名札置くとかよくない」

「『第一バイオリン』とか『トランペット』とか?」

「違えよ、人の名前だよ。プログラムに席順挟むじゃんか。あれを三次元にした感じよ」

「あ、そうか、席順に合わせてな」

「それだとピアノが入らない」

 盛り上がりかけたところに青葉は水を差した。良大が目を()いたのは新しい楽器が出てきたためか、見落としを指摘するような言い方をされたためか。

「ピアノあんの?」

「全部見ていいよ、フォルダの中」

 良大は力から青葉のスマートフォンを奪い取った。大人しく手放した力は、だが代わりに身を乗り出す。打楽器を通り抜けるのに多少時間を費やしてから、到達した。

「ガチだ。二台もあんじゃん」

「すげえな、(ふた)開くんだ」

 力と来たら、全く以て期待通りの反応をしてくれるものだ。赤と緑の二台のピアノは、屋根が開くし、支えるための突き上げ棒もついている。

「ハープもあんじゃねえか」

「うわあ! 弦何本あんだ」

「十五本」

「数えたのかよ」

「数えるだろ、こんなの見たら」

 ハープも二台、赤と青があって、前後に並べて撮影してあった。重なっていてどちらの弦なのかわかりにくい部分があったから、ひょっとしたら一本二本は数え間違えているかもしれない。

「なんでどこにも出す当てないのにこんなの作れるわけ」

「リョウは出たがりだもんな」

 半ば本気で理解しかねるといった風情の良大に力が苦笑する。作る楽しみはそれ自体で成立していて、他人に向けて披露することは別にゴールの要件ではないと青葉は思うけれども、この件に限っては良大に共感できるかもしれない。弦楽器五台ならまだしも、オーケストラ全体だ。同じ第一バイオリンを十二台も作って、似て非なる第二バイオリンを十台も作って、作っただけで終わりにするには大作すぎるだろう。

「ああ、だから、ロビーにね、並べてみたらどうよって話。全部」

「いいじゃん、見てみたいわ俺」

「頼めるんだったら――」

 通知がまた来て、自分のスマートフォンに戻る。

「あーやっぱ()(たん)()すぎるか」

「さっきから、相手、白鳥さん?」

 片手で頭を()き回す良大に、ふと(ひらめ)いた様子で力が問う。

「ん」

「おまえ既に本気じゃねえか」

 OBオーケストラの中で、言ってしまえば本筋から外れた、遊びの企画を担当しているのは、現在、良大と知果なのだ。何かしらやりたがってアイディアをあれこれ出すのは良大だが、それを形にする段になると知果が本領を発揮する。やるべきことがこれと定まった後は強い。

 良大自身も熱心に動くけれど、知果のフォローは頼もしく感じているようだった。その知果に打診しているということは、力の言う通り、本気――らしい。

 それにしたって、本番の一週間前に持ちかけることではないが。

「まあ今回は今回の企画があるしな。次回」

 言いかけて一瞬、良大は黙った。

「やんのかな」

 独り言のような呟きに込められている思いは聞かずともわかった。高校の部活とも大学のサークルとも、あるいは市民オーケストラとも、OBオーケストラは違う。今回の本番を終えた後に、再び(つど)う保証はない。

「とりあえず、姉ちゃんに訊いてみるよ」

 励ますように、青葉は約束した。保証がないといっても、発足したのは何代も前のことで、何年も続いてきた実績はあるのだ。部活のように構成員を入れ替えながら。

 頼むわ、と真面目に頷いた後で、

「あ、あと一個訊きたいんだけど」

 声のトーンが急に変わった。

「なんでホルン三つなん」

「ああ! それは見てみたいな、あたしも」

「姉ちゃんが乗り気になってもしょうがないんだけどさ」

 口ではそう言ったものの、姉に渋られたらそこで終わっただろうから、この反応はありがたい。

「遥も言ってんのよ、オケを全部並べてみたいっていうのは」

「それは俺も聞いたよ。それで、とにかく一度、うちのオケを見に来てもらうべきじゃないかって話になったんだけど」

「本番来週やんか」

「そう、すごい急なんだよ」

「いや、でも、いいんじゃないの。訊いてみるわ」

「あ、待って。もう一個」

 (さっ)(そく)スマートフォンを取り上げるから、慌てて止める。仲介してほしいことは、もう一つ、ある。

「本当言うと、ホルンが一個足りないんだ」

「足りない?」

 姉は目をぱちくりさせた。

「ホルンって普通四管なんだよ。二管ならまだ説明がつくけど、三管はちょっと」

 フェルトの金管楽器の集合写真に、ホルンは三つ写っていた。四つあるなら、四つとも写すだろう。

 最も一般的な編成ではないというだけで、間違っているというわけではない。だが、一般的ではないなとは、感じる。どうして普通に四管にしなかったのだろう、という疑問はある意味的外れで、オーケストラにホルンが含まれることはともかく、その本数までは一般常識には入らないだろうが。

「言っていいのかな、そういうこと」

 気を悪くしないだろうか。……傷つかないだろうか。

 けれども一方で、例えば知果が、気づいたら寂しい気持ちになるのではないかと思う。弦楽器の十二型編成と、その本格具合と、比べたときに。

「本職の目線だな」

 (むし)ろおもしろそうに返ってきてほっとする。少なくとも姉には、ケチをつけたようには聞こえなかったらしい。

「どっかに出してから言われるよりいいんじゃないの。知ってたんなら先に教えてよ、ってなってもあれだし」

「そうかな」

「言っとくよ。四管ね」

「うん。――あ、あの、言うなら、ピアノの蓋が開くのウケてたってことも伝えといて」

 急いで付け加えたのは、駄目出しの埋め合わせをせねばならないというような気持ちからだったけれども、本心から伝えたい事実でもあった。

「あと、指揮台好きですって」

 了解、とにやつく姉は、自分も同じことに感動したのだろう。自分の手柄でもないのに鼻の高くなる気持ちが、今となってはよくわかった。

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