「姉ちゃんと出かけるから。駄目」

「またかよ。姉ちゃん離れしろよおまえは」

 不満が返ってくるのは予想通りだったから、日下(くさか)(あお)()は気にせずチョリソーにかぶりついた。友人たちの注文もすぐ来るだろう、わざわざ待つこともない。

「俺何回姉ちゃん都合で断られてんの」

「いや、何回誘ってんのよ。それはおまえが日下離れするべきなんじゃないの」

 隣りでぶつくさとスマートフォンを()で回す(みな)(かみ)(りょう)(だい)に、斜向かいで(いし)(ぐろ)(りき)が苦笑している。

 実を言えば、気の乗らない誘いを断るときに、姉との約束を(ねつ)造するのは青葉の常(とう)手段である。自分にとって真実味はあるし、表情に(とぼ)しいせいもあってか見抜かれた覚えはない。姉にべったり、という評価が陰で確立していても不思議はなかった。(もっと)も、良大に対してその嘘を()いたことはないはずだから――嘘を吐かねば断れないような相手ではないから、つまり、良大の言い分は結局のところ大袈裟だ。本当に姉と出かけることは、時たまあるが、時たましかない。

「いいことだぞ、姉弟仲いいのは」

 やけに情感たっぷりの力は、ここしばらく年の離れた妹に煙たがられていると聞いた。わかりやすく溺愛していたから気の毒でもあるし、それが原因なのではないかという気もする。あれは煙たくもなるだろう。

「大体、未だに実家住みな時点で親離れとか兄弟離れとか言えた立場じゃないからな」

「おまえらもだろ」

「俺は別に姉ちゃん離れしろとか思ってねえわ」

 口をへの字にひん曲げた良大は、つまりは負けを認めたらしい。それで不満が解消するわけでもないが。

「土曜だって駄目だし」

「市民オケな」

「オケならOBオケがあんのに」

()くなよ」

 流石(さすが)に笑って、青葉は口に出した。

 高校時代、三人は管弦楽部に所属していた。女子生徒の圧倒的に多い部活だったこともあり、同じバイオリンパートだったこともあって、在学中も卒業後も、大学を卒業した今も親しくしている。元々口数の少ない青葉は、よく喋る二人がぽんぽんと応酬を始めると黙って眺めるだけになることも多いのだけれども、そのことは疎外感には繋がらない。(むし)ろ、無言で同席することを許されている気楽さと安心感がある。そんな相手だからこそ、一緒にいると普段よりよく喋るし、よく笑う。逆説的だが自然なことだろう。

 管弦楽部OBの有志によるオーケストラに加わったのも、良大が二人に声をかけたからだった。三人にとって最初の本番が一ヶ月後に迫っていて、最近は日曜日の夕方以降がその練習で(ふさ)がる。アマチュアオーケストラにとっては本来、練習場所の確保は悩ましい問題であるはずなのだが、クラリネットの熱心な先輩が中学校の教員で、勤務先の音楽室の使用許可を取ってきてくれるのだ。来年度以降も継続する保証はないが、次の本番まではとりあえず心配ない。

 一方で青葉は地元の市民オーケストラにも籍を置いたから、土曜日の夕方以降はそちらの練習で塞がっていた。よくそんな他人だらけの団体に入り込めたな、と良大には妙な感心をされたし、()()めるのかと力には心配されたものである。随分な評価と言うべきか、的確な評価と言うべきか。こちらはこちらでアマチュアといっても市を後ろ盾に持っているから、(けい)古場は輪をかけて安泰であった。

 そんなわけで休日は充実していたが、イレギュラーな予定を入れにくいという難点は否めないのである。

「え、姉ちゃんとどこ行くん」

「公民館」

「は?」

「手芸の公募展やるんだって」

 来週の日曜日から一週間の開催だというから、初日に行く約束だった。無論、午前中ということになる。

「で、姉ちゃんの友達のお母さんがそれに出してて」

「姉ちゃんの友達のお母さん?」

「姉ちゃんの友達、じゃなくて?」

「姉ちゃんの友達のお母さん」

「遠くね?」

 青葉は無言で肩を(すく)めた。不自然だろうかと不安になっても、顔に出ない性質(たち)だから助かる。……知人、とでも()()()した方がよかっただろうか?

「まあ、つまり姉ちゃんから誘ってきたんだな」

「寧ろ姉ちゃんがおまえ離れしなきゃいけないのか」

 違和感を持たなかったらしい二人にほっとした。姉に対する誤解は生じたようだが、姉と二人が直接会うこともないのだし、そのまま濡れ衣を着てもらおう。

 友人の母親が出展しているというのなら、普段の姉なら当然、その友人と見に行くはずだ。実際、前回はそうだった。今回、青葉を誘ったのは――青葉が一人では行きづらいだろうから、である。そうとはっきり聞いたわけではないが、恐らくは。

 手芸が好きだ、と言ってしまうと語弊があるだろう。縫い物も編み物も、青葉自身は(たしな)まない。だが、作品は――好きだ。パッチワーク、アップリケ、リリアン、刺(しゅう)、ビーズ細工。姉の友人の母親がよく作るという、フェルト作品も。

 良大や力なら、話して馬鹿にされることもないだろうと思う。男のくせにと(はや)されたのは小学生のときで――それきり公言していないのだから、それからは誰に何を言われたこともないはずだ。だが、そんな理屈は気を楽にする役には立たない。

 隠した好みを家族は知っているから、姉は時々こうした機会に声をかけてくれるし、青葉の方から同行を頼むこともある。それなら、姉に付き合わされているかのような顔をしていられるので。

「それは、選ばれたってこと?」

「一応審査はあるみたいだけど。規模とか全然わかんないから、すごいのかどうかもわかんない」

「あ、でも審査は通ったってことだな。すげえじゃん」

 良大は幾分呆れたようだったが、力は曖昧な情報に基づいて褒めた。何も青葉がいい加減に聞いていたわけではなくて、本人たちも募集要項に書いてあった以上のことは知らないらしい。ということは大きなイベントではないのだろう。尤も、姉は頭から友人の母親の作品であることにしか興味がないのだし、青葉としてもイベントの格はどうでもよい。

 姉の友人の母親と言えば、以前も確か、月単位で借りられるレンタルボックスに、フェルト製のティーセットを展示していたはずだ。友人と二人で訪れたという姉はすっかり興奮して、可愛かったと繰り返しては褒めちぎっていた。このはしゃぎようは大袈裟だろうと呆れながら、青葉も少々、食指は動いたのだ。踏ん切りがつかないうちに、展示期間が過ぎてしまって――だから今回は、一緒に行こうと誘われたのだろう。絶対に気に入る、と(こぶし)を握っていた姉は、こちらが気乗りしていなかったとしても逃がすつもりはなさそうだったが。

「あーそっか、先約あんのかあ……」

 自分から尋ねておいて、手芸展という回答に良大は関心を引かれなかったらしいが、拒絶はようやく受け入れたようだった。

 力が首を傾げた。

「さっきから気になってるんだけど。俺は誘ってもらえないわけなの」

「君は彼女いるでしょうよ。彼女に使いなさい休日は」

「休日は彼女が仕事だよ。コンビニで働いてんだから」

「そうなん?」

 一瞬、気遣いが的を外していたことに傷ついたようだったが、

「じゃ、行こうや」

 気を取り直した様子で、スマートフォンをぱたんとテーブルに置く。力に向けて差し出した格好だが、映画の公式サイトがこちらからでも見て取れた。

「あ、悪い、これは彼女と観に行くわ」

「はっ倒すぞおまえ」

 危うく吹き出すところだった。

「いや、逆に問うぞ。おまえはこのごりっごりの恋愛映画を男二人で観に行きたいのか」

「っていうか俺これに誘われてたの? いやん勘違いしちゃう」

 男一人で行こうと男二人で行こうと、青葉としては別に気にならなかったが、良大をからかった方がおもしろいのでそちらを優先する。

「一人で行きたくないんだよー」

 良大は天井を仰いだ。まあそれはわかる、と力も頷く。

 どの程度本気なのだろうと思う。いかにも男女のカップルが集まりそうな映画。男二人で行く分には気にならないようだし、多少気恥ずかしいだけなら、結局一人でも行くのだろうが。

 来週の公募展に、自分はきっと、一人なら行かない。

 同じような傷を良大が抱えているとは限らない、あるいは良大の方に偏見があるのかもしれないけれど。

「こういうとき姉ちゃんいると便利だぞ」

 とりあえずはシスコン扱いに逆襲しておく。

「ああー……姉ちゃん欲しいなー俺も……」

「動機がおかしいから。――あ、俺です」

 力が手を挙げ、良大がスマートフォンを回収した。店員が力の前にハンバーグの鉄板とライスの皿を差し出して、伝票を置かずに去っていく。

「……え、俺のまだ?」

「まだっぽいな」

「パスタってハンバーグよりかかんの?」

「今日踏んだり蹴ったりだなーおまえ」

 先にごめんな、と言いながら力も食べ始める。そのことには別に文句はないようで、良大は何を言い募るでもなく、またスマートフォンを(もてあそ)び始めた。映画の話には戻ってこなかったので、青葉も自分からは蒸し返さなかった。

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