セディカががたがたと震え始めてから、その従伯母(いとこおば)である店主の妻は、従姪(いとこめい)をぎゅっと抱き締めて力づけていた。自分で抱き締めるわけにいかないジョイドは、幾分ほっとしてそれを眺める。出会いから半年も経っていなくとも、母代わり――なのだ。

「あいつやっぱり変なことしたんじゃないの」

「変な術っていうことはないんだよ、心配になるのはわかるけど」

 キイが話しかけた相手はセディカか店主の妻であったのだろうが、答える余裕もないようなので、ジョイドは口を出した。疑わしげな視線が返ってくるのは想定内だ。この少年もずっとピリピリしている。

「薬だって、悪いものじゃなくても副作用が出ることはあるでしょ」

 セディカは無論知っていたからリクエストしたのである。反動が来ることをわかった上で、自力でああしたはったりを()かせる方が厳しいと踏んだのだろう。

 店主とスチェとは家内を仕切らなければならないために出ていって、部屋にいるのは四人きりだった。縁があるとはいえ他人を大勢家に入れて、自由にどうぞと放っておくわけにもいくまい。個人の家を避難所にするのは、こうして別の問題を引き起こすから、決して望ましいことではないのだけれども、緊急事態に無理をしてくれたわけだ。

 町と村里が合体しているような、この里の構造は珍しい。〈金烏〉ではしばしば見られる、ということでもないはずだ。一人暮らしの自宅から勤め先に通って給金を得ている者もいれば、三世代で同居しながら所有の畑で耕作をしている者もあるというから、こう多様だと管理する役所は頭が痛いかもしれない。

 子供と保護者を今日になって突然寺院に集めるのにも苦労したようだった。家に行けば子供も親もいる、とは限らないからだ。場合によっては親の勤め先を訪れて、雇い主を説得しなければならなかっただろう。真っ当な用事であればもう少しやりようがあっただろうが、なるべく隠して事を進めてきたのだから――つまるところは騙して生け(にえ)を集めようとしていたわけで、そのくせ本当は何とかして止められないかと思っていたのだから、スムーズに賢く万事を運べるわけがないのである。

「俺がいたんじゃ怖いかな」

 ふと、ジョイドは半ば独り言のように呟いた。

「そ、そんな、こと」

 歯をかちかち鳴らしながらセディカが否定する。ごめん、無理しないでと止めながら、自分がマオの恋人であることを失念しているのだろうかと思う。それを敢えて思い出させて余計に怖がらせるつもりはないが。

「で、でも……ああ、ジョイドだなって思えることを、喋ってくれた方がいいかも」

「俺らしいこと、ねえ」

 首をひねる。

「じゃあね、〈金烏〉の昔話でもしようか。俺も生まれは〈金烏〉だからね、幾つか知ってるんだけど」

 帝国生まれ帝国育ちのセディカでは、ひょっとしたら有名な話も聞いたことがないかもしれない。

 〈高寄〉までセディカを送り届ける道中、徒然(つれづれ)を慰めるのに、世界各地の神話や伝説をしばしば話して聞かせたものだったのだ。十代の早くから仙人となるための修行に明け暮れていたジョイドは、セディカぐらいの少女に好まれそうな話題をあまり持ち合わせていなかったから、この話題が有効そうだとわかってからはそればかり喋っていたと思う。

「昔、腕のいいお医者さんがいてね。貧しい人からはお金を取らないで、その代わりに杏の苗を植えてもらっていたから、やがて立派な(あんず)の林ができたんだって。その杏林も、断らずに出入りして、勝手に杏を採って黙って代金を置いていけばいいことにした。代金とか、物々交換で穀物とかね」

 セディカは本当に聞けているのかもわからない様子だったが、店主の妻とキイ少年とはどちらも同じような表情になった。

「有名なの、その話」

「どうなのかな。俺は子供の頃に聞いたけど」

「今はチオハ家のものなんだよ、その杏林。そのお医者の何代目かの子孫が、自分の息子は信用できないって言って譲ったの」

 キイ少年は熱心に言った。

「これは一説なんだけど、貧しい人は無償で採っていいことになってたっていう話もあるね。それも知ってる?」

「それはそのお医者じゃなくて、何代か後になってから。で、もう何代か後の人が、自分の息子はその無償のやつを廃止するだろうって考えたわけ」

 店主の妻は意外そうに少年をみつめていた。水を得た魚とまでは言わないが、少年は随分、活気づいたように感じられた。

「元々は〈高寄と高臥の里〉っていったけど、そのお医者さんの義を称えて、『高義』を加えて〈高寄と高義と高臥の里〉っていうようになったんだっていうね。『高寄』も『高臥』も世俗に染まっていない場所っていうぐらいの意味だけど」

「知ら、知らな、かった」

「杏林はチオハの親類でも人望のある人が任されるんだって言ったじゃん」

 キイが頬を膨らませる。ここまで詳しいことは言ってなかったじゃないのと、歯の根が合っていないのに()いて言い返すセディカを、もう喋らないのと店主の妻が叱った。ジョイドは目を細めて少女を巡る人々をみつめた。

「待てって言ってんでしょうが!」

 そう言われて待つようなら、そもそも逃げはしないのである。妖怪は()()うの体で、ざぶんと河に飛び込んだ。トシュは鉄棒をぎゅんと伸ばして振り下ろしながら網に変えたが、引き上げた中に妖怪はかかっていなかった。

「畜生め」

 セディカの顔と声のままトシュは吐き捨てた。

 退路を断っておくことは考えなかった。が、手抜かりだと悔しがるところではない、この短時間でそこまで手を回してなどおけるものか。里を守るための手配が最優先だったのだから。

 そして、それはどうやら実を結んでいる。妖怪が里の方向へ飛んでいこうとして、押し返されたのを確かに見た。寺院では手筈通り、寺院の中を守るための祈祷を始めているのだろうし、それを利用して寺院の外を守るための仕掛けもちゃんと起動しているのだ。言うなれば、第一段階は成功した、のである。この後に第二段階が続くというだけで。

 追いかけるか。いや、それは厳しい。自分の不得手は理解している。何としても、と意気込もうとも、やる気に対する報酬として実現が支払われるわけではない。

 それに――こちらの攻撃が、思うほど、効いていなかったような気がする。無論、妖力と妖術で、素のダメージより軽減されることは承知だが、それを加味しても、だ。もしもこちらが圧倒的な強さを見せつけることができていたなら、敵はこの河にも(とど)まらず、雲を(かすみ)と逃げ出してくれたかもしれないけれど。

 しばし水面を睨んでいたトシュは、だが、ふと、その場を離れた。河からは遠ざかりつつ、里へも近づかない塩梅を保って歩みを進め、やがて里の西端よりも西へ出る。

 そこで不意に蜻蛉(とんぼ)返りを打って、セディカの姿を捨てて自分の姿に戻り、来し方へ向き直った。

「出てこいよ。どこの誰で、何の用だ」

 トシュの後をつけてきた気配は、二つの人影となってその呼びかけに応えた。

 一方は朱色の服を着て、同じ色の()(きん)を被った壮年の男であった。一方は白い服を着ており、髪も(ひげ)も白くて長く、こちらも男で老人と見えた。

「〈あかがね猴仙〉の孫君でいらせられるか」

 朱色の方が尋ねた。

「――いかにも」

 何故わかった、と問うのは控えた。

 返答を受けて、男は片膝をつく。

「この〈高寄と高義と高臥の里〉の土地神にござる。お召しに応えられなんだこと、お詫び申し上げる」

 土地神。

 では、呪文は届いていたのだ。〈あかがね猴仙〉の名で知られた、神をも使役する祖父の威を借りた召喚。

「お頼み申す。〈通天霊王〉を名乗るかの妖怪を討っていただきたい。我々では歯が立たぬゆえ」

「我々、と。あんたは?」

「わしが〈通天霊王〉じゃ」

 白い老人が言った。青年は軽く、(どう)目した。

「元は代々この河に住む亀の妖怪にすぎなんだ。祖父も父も妖怪であったが、長く生きた末に死んでの。何百年、何千年、何万年生きようと、所詮妖怪では死を免れられぬのだなあとしみじみ思うて、それから修行を積んだのよ。それがこの河の神の目に留まり、この辺り一帯を任されたのじゃ」

 河の神そのものではなくて、代官のようなものだったわけだ。

「里の守り神でもあるそうだが」

「祖父が人間のおなごに惚れて、陸に上がったことがあっての。この里の人間どもは遠縁のようなもの。年長者には庇護の義務があろう」

「語(へい)があろう。お主はそのことに反感を持って、粗を探してやろうと自らも陸に上がったではないか」

 土地神が生真面目な調子で訂正した。トシュは頬を緩めた。

「じかに目で見て、助けてやりたくなったか」

「ちょうどその折、河が氾(らん)を起こしたものでな。流石(さすが)に痛ましゅうて押し(とど)めてやったところが、人間どもが感激して、神じゃ神じゃと(あが)め出しよった。気分がようもなる」

「わかるよ」

「〈通天霊王〉の名も人間どもがつけたのよ」

 ふと自嘲が混ざったようだった。

「天に通ずるとは買い被りすぎよ。九年前、津波に乗ってやつが現れたとき、わしは手も足も出なんだわ。先祖代々の館も乗っ取られて、今はただ手を(こまね)いておる」

 トシュは腕を組んだ。こういうことを、聞きたかった。

 あの妖怪が〈通天霊王〉の偽物なのか、最初から妖怪が神と自称していたのか、実のところ二つの可能性が考えられたわけだが、幸い、これではっきりした。先走って(やしろ)を打ち壊さないでよかったと、こっそり思う。

 河の神なら、嘘は()かない。河の神から権限を委譲された亀の妖怪、となると、そうとも言い切れない。とはいえ、土地神はやはり嘘を()かないし、亀の嘘に口を(つぐ)むこともあるまい。あの妖怪を退治してほしい、と土地神が頼んでくるのも珍しい気はするが、自分自身が虐げられ、押さえつけられているのなら、考えられないことではない。

 疑うところではない、と結論づけて頷いた。

「俺も今さら手を引けないところまで首を突っ込んでるんでね。(むし)ろこっちから協力を頼みたい。あいつについて、わかることを全部教えてもらえるか」

 術の反動はやがて収まった。平常に戻った心では、店の前で自分が何を語ったか、と意識するだけで顔が熱くなった。随分と――演説めいたことを、言わなかったか。

 トシュは予想外に早く帰ってきた。何やら風呂敷包みを背負っていて、見慣れた格好ではないからセディカは目を引かれたが、特に解説はつかなかった。

「まずは朗報だ。あれは明らかに妖怪だ、神じゃない」

「じゃあ、本物はどこに行ったの。ていうか何してんの、偽物出てんのに」

 キイが噛みつく。責められるのもお門違いだろうが、トシュは一々気に留めなかった。

「言っとくが、守り神が機能しないのは大抵信仰が足りないせいだぞ。河の神ってのは普通、単に河の神なんだ。人間のためにっつう大義を掲げるには、人間から力を得なきゃならんのよ」

 今の時代のおまえらが言われても困るだろうけどな、と付け加える。〈通天霊王〉への信仰が絶えたのは昔のことだ。

「世の中、正しいやつが勝つんじゃなくて、力のあるやつが勝つからな。せいぜい、正しいやつに力を与えられるように気を配らにゃならんわけだが」

 難しいなと嘆息が挟まる。

「追い払えたの?」

「一応、里からはな。だが、里と河が接してるんじゃ、河からも追い払わなきゃ意味がない。河岸(かし)だけ変えてまた守り神ごっこをされてもあれだし、今後人間に迷惑をかけないと誓わせとかにゃならんだろうな」

 トシュらしい、とセディカは思った。

 河にただ残っているというだけでなく、喧嘩を売って怒らせたところなのだ。「里」は守ったぞと(うそぶ)いて、ここで突然手を引くようなことはしないだろう。思い込みを嘲笑いたくて手を挙げたわけではないはずだから。

 が、それにしたって――追い払った後で、どこか違う場所で同じことをするかもしれない、というところまで気を回すのは、当然のこととは言えるまい。それだけのことを成し遂げられる自信があるからだろうけれども。

「まあ、俺個人が憎まれたとは思う。この里自体に報復をしようとは考えないだろう。といっても、おまえ自身がみつかったらそれまでだからな。悪いが、もうしばらく引っ込んでてくれ」

 少女は前半に少し目を(みは)り、後半には頷いた。トシュに矛先が向いたことを以て安心できるほど自己中心的ではないが、心配だと主張しても(うっ)(とう)しいだけだろう。自分を(なだ)める手間をかけさせるものではない。

「院主どのにも報告してくる。やつを里に入れないための結界を強化してもらわんとな」

 それはいかにもこれから立ち去りそうな言いようであったし、実際にトシュは立ち去りそうな()()りを見せた。が、ふと思いついたように、ここで初めて風呂敷の結び目に手をかける。

「話のネタに見ておくか?」

 そうしてほどいた包みの中から現れたのは、大小二枚の、円くて平たい、凍てついた氷の塊のような何か――だった。

「……(うろこ)?」

「だろうな。やつは鱗のある生き物だってことだ」

 それを覗き込んだときの人間たちは、多少なりとも野次馬根性を発揮したことになるだろう。

「いいものを拾ったじゃない。それを使えば、そいつが里に出入りできないように、確実な禁止の術を編めるよ」

 ジョイドが言い、トシュは頷いた。

 先ほどの短い戦いの中、殴りつけた弾みに落ちたものを、この里の土地神と本物の〈通天霊王〉とがそれぞれ拾っておいてくれたのだ――とまでは、明かされなかった。セディカはただ、青年たちを頼もしく思った。

 トシュは寺院に鱗を届け、院主たちと協力して法術の要にそれを組み込んだ。常に誰かが祈祷を行っていなければならないようなことは、これでなくなったわけである。術の細部は後でジョイドにも添削してもらおう。

 効果のほどを窺いたいのと、〈霊王〉本人でなく手下や何かがいる可能性を考えて、夜が明けても子供たちや保護者はまだ帰さないでほしいと伝えてから、寺院を出た。

 一度で決着をつけられなかったのは、痛いと言えば痛い。が、無理もないと言えば無理もない。昼を過ぎてから事情を知って、日暮れには現場に乗り込むという急展開だったのだから。とはいえ、よく対応した方だと世界中が認めてくれたとしても、事が片づいていないことに変わりはない。

 護符を配り終えた小猿たちを呼び集めるか、里の各所に(ひそ)ませておいて異変がないか探らせるかと迷い、前者のために用意したものを後者に転用してもちゃんと働くかは心許ないと判断して、唇に指を当てて呪文を唱える。たちまち小猿の群れが集まってきて、一本ずつ髪に戻ってはトシュの頭に収まった。

 さて――次の手は、どうするか。

 攻撃が今一つ効いていなかったらしいことについて、河の神代行と土地神から情報を得られればと思ったのだけれど、二神は偽〈霊王〉から殊に警戒されているようで、きっぱり遠ざけられていて詳しいことはわからないらしい。どうにも当てが外れてばかりだ。

 敵の強みを潰したり、弱みを突いたりという方向のアプローチが取れないのであれば。では、今度こそ、退路を断つ――逃がさないことを考えてみるか。例えば、真の〈通天霊王〉が河の神から委託されている領域を、離れられないようにする、とか。その場合、苦手な水中か水上で戦うことは避けられなくなるけれど。もしくは、セディカたちの前で豪語したことには反するが、目の前のこの里を守ることだけを考えるか。今は里を守るように仕掛けてある法術を、この河の対岸まで広げて、一度その外に追い出せば再び戻ってこられないように――いや、それは範囲が広すぎて成功するかどうか怪しいし、対岸にあるという隣国の里を巻き込みそうだ。

 幾つか考えてみたものの、これだ、という妙案は浮かばなかった。どうせ何も思いつかないのなら、無心に手を動かして、戦闘中に役立つ呪符を一枚でも多く描き上げた方が有意義かもしれない。

 ふと、セディカの前で言ったことをもう一つ思い出して、トシュは苦笑いをした。悪いやつをぶん殴って片づくなら簡単だ、と雑なことを言ったのである。あのときの三姉弟の母親を健康体にしたいとか、父親を生き返らせたいとかいう話になったら、トシュなど無力もよいところ、手出しは愚か案の出しようもない。そういったことに比べれば、〈通天霊王〉のことは簡単な話には違いない。

「やりたくないけど、やりたいことは、ってな」

 最後までやり抜きたいのは責任感や(きょう)持ゆえであって、面倒や物騒に長々と関わっていたい()好があるわけではない、と主張するような気持ちで呟いて、歩き出す。もう一度河の近くをうろついてみて、それで新情報が拾えないようであれば、薬屋に戻ってジョイドと頭を寄せ合うとしよう。

 トシュとジョイドが話し合ったり呪符を描いたり、トシュの方は時々外へ出ていったりするのを、セディカは同じ部屋で眺めていた。従伯母もなるべく従姪に付き添っていたいようだったが、従伯父(いとこおじ)とスチェにばかり家内のことを任せておくわけにもいかないのだろう、セディカをお願いしますと何度か頭を下げてからいなくなっていた。トシュとジョイドも、従伯母たち家族も、セディカにとっては好きで親しい相手だが、双方が一堂に会していると段々どんな顔をしていればよいのかわからなくなってきていたので、片方が外してくれたことには、実のところ、少しほっとした――ひょっとしたら、居心地悪く感じていることが伝わって、気を利かせて離れてくれたのかもしれない。

 (もっと)も、キイも一緒にいた。このキイがぺらぺらと喋りかけてくるから、方士たちの横で何もできずにぼんやりしている罪悪感から気を()らせる側面はあった。イッシャとカンのことも心配だろうと思ったり、しかしそのことを話題にしてよいものかと迷ったりと、気を遣わされもしたが。

 果物に野菜、麺にスープという軽い夕食がそのうち出てきた。祭りの夜は肉や魚を食べてはいけない、というような戒めがあるわけではないが、避けておこうかという気持ちにはなるものらしい。同じ夕食が方士たちとキイにも振る舞われた。今夜は急な客人が大勢いるわけだが、果たして足りるのだろうか。この家なら一食分くらいは余裕か。

「そろそろ寝る時間じゃないの?」

 ジョイドが言ったのは、正にそれくらいの頃合いであった。

「俺たちも休みます。何か動きがあれば目が覚めるようにしておきますから」

「そんなことできんの?」

「あったわね、そういうこと」

 キイが疑うので、セディカは解説のように言った。危険だからここは逃げるぞと夜中に起こされたことが、〈高奇〉を目指す旅の途中で、あった。

 従伯父と番頭を含めた数人が、何かあったときのためにと交代で起きておくつもりらしかった。これにはスチェは加わらなかった。方士たちの近くにいた方が安全であるとはいえ、その横で眠るというのも気が引けたので、セディカは従伯母と同じ部屋で寝ることになった。従伯母に抱かれて同じ寝床で眠るような幼子ではないものの、一人になるのは流石に心細かったので。

「何だか……、ごめんなさい」

「あなたが責任を感じることじゃないわ」

 当然と言えば当然ながら、従伯母は慰めた。

「偽物だと気づかずに、今まで崇めてきてしまったのはわたしたちよ。こんな危ないところに引き入れてしまって、わたしたちの方こそ謝らなくちゃ」

「そんな」

 そう続いたことには思わず声を上げて、だが、数秒前の自分を棚に上げている気がして黙る。そもそも本当に悪いのは〈通天霊王〉の偽物であって、人間側はみな被害者でよいはずだ。人間の中から悪者を選ぶこともない。

 従伯母は微笑んだ。

「誰に似たのかしらね。チオハの人らしい考え方よ。物持ちの大きな家だから――他人の責任よりも自分の責任を考える習慣がなければ、きっと当然の権利みたいな顔をして横暴に振る舞ってしまうからって、そういう風に教育されるそうだけど」

 勿論(もちろん)、セディカがチオハ家流の教育を受けてきたというわけではない。チオハの血筋は誰に教わらずとも自然とそうした人柄を備える、ということもあるまい。キイの母親を思い浮かべて半ばは複雑な気持ちになりながら、残りの半ばは、嬉しかった。

「やつが動いたぞ」

 明け方になってセディカと従伯父夫妻が起こされ、従伯父と同じ部屋に寝ていたキイも敏感に目を覚ました。交代しながらちょうど起きていた番頭も、一緒に報告を聞いた。

「河が凍った」

「凍……?」

「異常事態が起これば調べに来るだろうって魂胆だろ。見え見えなんだから罠ですらねえな、呼び出しだよ」

 河の水が凍りつき、岸にも雪が降り積もっているという。雨風を操れるのだから、別の天気だって操れておかしくないだろう。妙に冷え込むとは思いました、と番頭が呟いた。

「あの鱗は効いてる。やつが入ってこれねえようにしたところには雪も入ってきてねえからな。気温はつられて下がってるが、つられてだ。やつはこの里に手を出せない。手下がいたとしても、やつに力を分けてもらってるようなら同じことだ」

 それはよい知らせであるはずだが、安心していいと言われているようには聞こえなかった。合わせられた視線は、けれども気を抜くなと注意するように見えた。

「手を出せるとしたら、やつとは直接関係ない自立した妖怪で、なおかつ、やつのために一肌脱ぐ気があるやつってことになるな。あの偽物野郎にそんな都合のいい仲間がいるかどうかはわからんが、こっちとしてはこっちに都合の悪い方で考えるべきだ」

「要するにまだ外に出るなってこと?」

 セディカや大人たちが傾聴している横で、キイがせかせかと訊く。要するにな、と方士は反復して首肯した。

「現に本物のおまえがここにいる以上、本物のおまえを捜してここに来ねえとは言い切れねえからな。不自由だろうが、確実に片づくまで隠れててほしい」

「はい」

「これだけ言ってもこいつが出ていきそうになったら、殴ってでも止めてくれ」

「女の子を殴ったりなんてしないし」

「おまえの腕なら大丈夫じゃねえか?」

 指名されて唇を(とが)らせたキイは、次には細腕を揶揄されてむくれた。話している途中で(さえぎ)られた仕返しかもしれない。

「人を集めさせちまったのに、長引かせて申し訳ない。もう帰りたい、外に出たいっつう客人がいたら、状況はわからせといてほしいが、無理に止めなくていいとは思う。ただ、河の方には近づかんでもらいたいな」

「見(くび)らないでくださいよ。長引いただなんて、そんなことで文句を言うものですか」

 従伯父は苦笑した。

「あなた方を信頼してお縋りしています。素人考えで、一晩あれば十分だったろうなんて勝手な期待はしませんよ」

「……こう、俺を甘やかしてんのかってぐらい理解があるんだよな、あんたらは」

 (おも)()ゆいような様子で、幾分独り言のように、トシュは呟いた。自分が褒められでもしたかのように、セディカはそっと口元を覆った。

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