「おまえじゃない?」

 自分の顔が強張るのをトシュは感じたが、ジョイドの方はもう数秒前から不審な表情になっていた。

「本当にセディがそう言ったの? って訊きたいところだけど、おまえが聞き間違えたともセディの勘違いだとも思えないよね」

 トシュを呼び出す呪文を、ジョイドに教わったとセディカは言った。ジョイドには、だが、覚えがないというのだ。そのように誤解されそうな心当たりも。

 二人は例の(ひのき)の下にいた。ジョイドは大抵ここかマオの墓前で過ごし、節目の日には供養を頼みに(ふもと)の里の寺院へ赴き、専ら祈りに明け暮れているから、用があるときはトシュの方から訪ねてくることになる。なお、マオを知る仙人が現れる気配はないらしい。

 トシュに見える限りでは、ジョイドはマオの死を静かに受け止めているようだった。それでも、一人にしておいた方がよいのか、そばにいてやった方がよいのかと、会いに行くときも別れるときも迷うし、悩む。だが、かつてマオが死を装ったときのように――うっかり目を離せば後を追うのではないか、と危ぶまれるようなことは、なかった。

「じゃあ、何だって……偽物でも出たってのか?」

「俺の?」

 思わず、という調子で言わずもがなのことを訊き返してから、ジョイドは口元に手を当てて考えた。

「俺に化けてセディを騙して、何の得があるのかな。呪文は本物だったわけでしょ? 特に修行も何もしてないセディが唱えても、あんなにはっきり効果があるくらい」

 そう指摘したときには、まだ、わかっていない様子だった。けれども、顔を見合わせているうちに――トシュより一足早く、あ、と(どう)目した。

 遅れて、トシュも気がついた。

「――そういうことかよっあのアマ!」

 突然の怒鳴り声に、そこいらにいた霊鳥たちが一斉にばさばさと飛び立った。

 その呪文を受けて、額に印が輝いたのである。そんなものを授けられるのは――〈慈愛天女〉本人に決まっているではないか。

 セディカが知れば仰天するかもしれないが、二人にとってみれば現実味のある話であった。他でもない〈慈愛天女〉であれば、そうまではっきり干渉してくることも十分にありうる。

「神様が(じき)(じき)に俺に化けるなんてねえ。本人じゃなくて使者だったのかもしれないけど。おまえを呼び出す呪文なんて俺だって持ってないのに」

 大きな声を出すなと手振りで叱りながら、得心したらしいジョイドは少々おもしろそうにしていたが、再び真面目な顔になった。

「なんでまた、あの子にそんな――君にいつでも助けを求められるようにしてあげる必要があったんだろう」

「……マオのことを予見してたってか」

「マオに限った話ならいいけど。呪文はこれからも使えるわけじゃない? これからもいつまた、君の助けが必要になるかわからないっていうことかもしれないよ」

 それは正に二人が懸念していることだった。マオに限らず、人間を食べるような妖怪一般にとって、セディカが「健康によさそう」と見えるものであるのなら、いつまた狙われるかわかったものではない。だからトシュはその辺りを見極めようと、〈高寄と高義と高臥の里〉に(とど)まって、あの少女とその周辺を観察しているのである。

 とはいえ、あれから一月ばかり、セディカが襲われたり狙われたりする様子は見受けられなかった。元より人間を食べることなど思いも寄らないトシュは、健康によさそうだなどという発想に触れたところで、セディカを見てもそんな印象は受けない。食べたくなる気持ちもわからないではない、と思われてくるようなら、それが手懸かり、取っかかりになったかもしれないが。

「十三年生きてきて、今になって、か?」

「君と知り合って、君に助けさせればいいやっていう当てができたからじゃない?」

「……ありかねん」

 溜め息が()かれたのは、言葉の通り、ありうる話だと思ったからだ。勝手に当てにされていかねない。

 が、一方で――結論ありきの推測をしているかもしれないとも、思う。食べたくなるような理由がセディカ自身にあるのなら、マオの非も軽減されるような気がして――無理もないことだったと弁護する材料を求めて、偏った推測を組み立てているかもしれない。

 襲われるような原因など、セディカのためには、あってほしくないけれど。マオのために――あってほしいと。

「俺らの思い違いじゃないか、ちゃんと確認してはおきたいけど。あれは流石(さすが)に、他の誰にもできないんじゃないかと思うし」

 自分の額に手をやって、焦らなくていいと思うとジョイドは言った。トシュは複雑な気分で頷く。決して〈慈愛天女〉の配下になったつもりはないのだが。

「セディに何て言おうかねえ。本当に俺だったことにすると、俺がその呪文を知らないからどこかで矛盾が出そうだし」

襤褸(ぼろ)を出すまで長く付き合わんだろ。――それはそうと、おまえもそろそろ〈高寄〉に行かねえか?」

 セディカと顔を合わせたときの話になったので、トシュは思い切って振ってみた。

「俺には何もありそうには見えねえんだが。俺の目だけじゃ、心許ない」

「あんまり買い被らないでよ。そうね、〈通天霊王〉の祭儀がもうすぐなんだっけ? あれは気になってるから、その日までには行こうかな」

「ああ、自己主張の強いやつな」

 自分も気になってはいた、と頷く。十年ほど前に復活したという、河の神にして守り神の祭儀。

 その後詳しく聞いた話では、正確には九年前、天候不順で苦しんでいたところに神託があったのだという。豚を十頭、羊を十頭、供物として捧げれば、風雨を最適に調節してやろうと。約束通りになって目覚ましい収穫を得たので、それ以来毎年、同じ月の同じ日に同じ供物を捧げているらしい。

 随分と直接的な要求をするものだと思ったのだ。河の神や山の神や土地の神というものは、大抵は淡々とそこに存在していて、あまり人間を左右しようとしない。そこに人間が暮らしていれば、まして守り神として(あが)めてくれば、気に懸けるようにはなるものだけれど、豚が欲しい、羊が欲しいと取引を持ちかけるのは――珍しい。

 だからどうということでもないが、珍しいから気にはなるのだ。本人に話を聞いてみようかとまでは思わないが。

「じゃ、そのつもりでいるわ。宿屋の場所はわかるよな」

「どんな顔してセディの前に出たらいいかはわかんないけど」

「あいつも同じこと思ってんだろうからおまえが折れてやれよ」

 折れるって言うかなあ、と亡き加害者の恋人は苦笑した。

 お連れ様がいらっしゃいました、と宿屋の従業員が知らせに来たのは、結局、祭儀当日の昼が過ぎてからだった。おお、日が暮れる前でよかった、とトシュは白々しく応じた。物忌みのことも言ってあるのだから、ちゃんと間に合うように来るだろう。

 本来は道連れがいるのだが、身内に不幸があって故郷に戻っている、そちらが片づいたら追いかけてくることになっているから、いつまでになるかわからないがここで待たせてほしい――と、話を簡単にするために方便を交えて、宿屋の方にも伝えてあった。特に何があるという里でもないのに、何も言わずに長期滞在していては不安がられそうな気がしたので。さりとて、妖怪が襲ってこないかどうか様子を窺っている、などとあからさまに言っては、確実に不安がらせるだろう。

「あいつが落ち着くまで、ひょっとしたらもうしばらく泊めさしてもらうかもしれんが、問題ないか?」

「でしたら、もう一回り大きい部屋にお移りになりますか?」

 ここへ来て方士は部屋の大きさと料金との相関に意識を向けなければならなかったが、サービスで同料金にしておくと言われたので受けることにした。俗世間で過ごしている以上は、方士とて金銭に関心を持たないわけにもいかないのである。

 新しい部屋に移動して、幾らも経たないうちのことだった。

 廊下を急ぎ足にやってくる気配があって、従業員が顔を覗かせ、今度は来客――セディカの訪れを告げた。宿泊客でない訪問者を部屋に上げることは特に嫌がられず、セディカと、見知らぬ少年とがやがて現れる。ジョイドを目にしたセディカは一瞬驚いたようだったけれども、久しぶりだともいつ来たのかとも言及しなかった。

 青年たちは向き直った。少年少女は、ただならぬ様子――で、あったからだ。

「どうした?」

再従弟(はとこ)なんだけど」

 隣りの少年へ、セディカは目をやっただけだったが、ちゃんと紹介されるのを待たずに少年は踏み出した。

「仙術使いだって?」

 まるで喧嘩でも売るときのような剣幕だったが、

「お願い、助けて。里の子供が全員殺される」

 見開いた目は今にも泣きそうだった。

「――一刻一秒を争うか?」

「今夜だって」

 セディカが答えた。

「なら、話を聞く時間はあるな」

 一瞬ジョイドと視線を交わし、少年の前に片膝をつく。

「順を追って話せるな? 殺されるってのは、誰にだ」

「〈通天霊王〉」

 少年はきっぱりと言った。青年は目を細めた。

「今夜か。祭儀があるんだったな」

「今年は子供を捧げろって言うんだ」

「誰に聞いた」

「寺院で。神託があったんだって」

 少年は努めて冷静に話そうとした。少女も時々補足のために口を挟み、青年たちも時々質問を挟んだ。キイ、イッシャ、カンという名前を少年はきちんと説明しなかったが、聞いているうちに(おの)ずと知れた。

 今夜、即ち祭儀の夜、キイの親戚は本家に集まってささやかな(うたげ)を開く予定になっていた。ここ数年、長くとも九年の、新しい、言い換えれば別に歴史はない習慣だ。秋の終わりに控えている収穫祭のような、里を挙げての祭りにはならなかったので、親戚だけ、身内だけで集まることにしたのである。祈りの夜であるからどんちゃん騒ぎにはならないけれども、日が暮れれば外に出られないから、その夜はそのまま泊まらざるをえない。つまり、大がかりな親戚行事にはなるわけだ。

 その準備で大人たちは忙しくしていたから、キイは早いうちに本家へ行って、イッシャとカンを遊ばせていた。キイが出しゃばらずとも使用人が面倒を見ていたわけだが、二人ともキイに(なつ)いているし、キイも二人を可愛がっているから、宴を口実に遊びに行ったとするのが正直なところらしい。

 そこに寺院と役所から呼び出しがあった。イッシャとカンと、なるべく親も揃って来るようにとのことだったが、親たちは手が空かないので使用人たちとキイが連れていくことになった。

 寺院に着いて講堂に通されると、他にも子供たちやその保護者たちが集まっていた。大抵は親が両方揃っていたが、片方だけしか来ていないとか、キイたちのように親以外が連れてきたとかいうところもあるようだった。十一、二歳やもっと上の兄姉が伴われていることもあった。

 もう全員集まったのではないかと思われる頃になっても、しかし、これといって何も始まらなかった。若い僧侶が何人か控えていて、何があるのか、いつまで待たせるのかとたびたび質問されていたけれども、祭儀に関わることだとしか知らないようで、困っているばかりで(はか)(ばか)しい回答もできずにいた。あまりにも(らち)が明かないものだから、キイは講堂を抜け出して、事情に通じている者を探そうと寺院の中をうろつき――言い争う声を、耳にした。

 部屋の外まで聞こえるようなやり取りがあったのは束の間だったが、キイは急いで講堂に戻り、使用人たちを()き立てて、イッシャとカンを連れて逃げようとした。だが、外にはいつの間にか、武器を持った兵士と権限を持った役人が見張りに立っていた。

 キイの顔色を見て、事情を知られたと悟ったのだろう。祭儀のことだから協力願いたいと強く言って使用人たちと子供たちを帰しながら、役人はキイだけを引き留めた。

「君は行っていい。人に知らせてもいい、騒ぎにしてもいい。子供たちを助ける方法を考え出してくれていい。だが、我々も寺院も、彼らを解放することはできない。里全体を引き換えにすることはできない」

 そうして、立ち聞き以上のことをキイは知った。

 〈通天霊王〉の神託があったこと。

 今年は例年と異なる供物を捧げよと命ぜられたこと。

 豚の代わりに、九歳に満たない男の子を全員。

 羊の代わりに、九歳に満たない女の子を全員――。

 重荷を託されて放たれたキイは途方に暮れたものの、セディカを助けた仙術使いのことを思い出して薬屋に走ったというわけだった。

「……騒ぎにしちゃあ、まずいと思うが」

 呟いて、トシュは腕を組んだ。

「全員とは大きく出たな、来年の分がなくなるだろうに。この話、他に誰が知ってる――誰に知らせた?」

「うちに来てくれたから、従伯父(おじ)様と従伯母(おば)様と、スチェお姉様も。従伯父(おじ)様がノヴァの本家に知らせに行ったわ」

 青年たちはまた目を見合わせ、頷き合った。

「寺院でも直接話を聞いた方がいいね。一緒に行ってもらえるかな、俺らだけで行くよりスムーズだと思うから」

「すぐに」

「セダ、おまえも頼む。あそこの僧侶と面識があるだろ」

「うん」

 時々寺院で勉強を見てもらっていると、以前話していたことがあるのだ。父親の娘として(つちか)ってきた教養を無にするのは(もっ)(たい)ないからと、父親代わりが頼んだのだという。

「宿の人間には、今夜はよそに泊まることになったっつっとくか。日暮れまでに戻らねえとやきもきさせるだろ」

 日暮れまでに片づくとは思えねえからな、と少年少女へ解説しながら荷物を開けて、呪符や何か、使うかどうかはわからないが使えるかもしれない品々を取り出しておく。必要になってから取りに戻るのも時間が惜しいだろう。

 それから、早く早くと顔に書いてあるキイに見せるように、意識的に大股で扉へ向かい――ふと、足を止めて振り返った。

「おまえ、よく俺を思いついたな。褒めてやる」

 キイは(きょ)()かれたようだった。ことさら自信ありげにふふんと鼻を鳴らしてから、部屋の外へとトシュは踏み出した。

「祭儀のことで取り込んでいる。参詣なら明日に」

「その祭儀のことで。――今年の豚と羊のことで話がある」

 行く手を(さえぎ)る兵士にそう告げれば、暗号でも聞いたかのようにはっとした顔になった。

「何者だ」

「――君が連れてきたのか」

 キイに目を留めたのが、例の役人なのだろう。トシュはざっとその場の兵士たちに目をやって、余計な手出しをと嫌がる者はいないらしいことを確かめた。

 あの、とセディカが手を挙げる。

「チオハの者です。先日の妖怪騒ぎはご存知ですか?」

 あのとき妖怪を追い払ってくださった方士様です、とセディカは青年たちのことを説明した。チオハ家はこの里で有名な家柄であるようだったし、役人であればあの事件も把握していたのだろう。期待のような――もしくは、その手があったかというような色が、その目に混ざる。

「何か、策が?」

「解決できると断言はできん。だが、力を尽くそう」

 頼もしげなだけで中身のない宣言ではあったけれども、役人は自ら、院主の元へと四人を導いた。同席するか、イッシャとカンのところへ行くかとキイに確かめ、同席するという返事を受けてから、トシュたちは院主たちと対面した。

 トシュもこの寺院には何度か、マオの供養を頼みに、また単に自ら冥福を祈りに来たことがある。〈天帝〉、〈太老〉、〈慈しみの君〉、〈実りの君〉、それに〈冥府の女王〉を(まつ)った、特に変わったところのない一般的な寺院だ。〈天帝〉の相談役とか天の元老とか言われる〈太老〉が含まれているのは、里の規模を考えるといささか仰々しい方だけれども、ひょっとしたら建立当時は〈通天霊王〉が根強い信仰を集めていて、対抗意識から祭神を増やしたのかもしれない。〈冥府の女王〉のためには別の寺院を建てることも多いのだけれど、ここでは一緒になっていて、墓所もこの裏手にある。

「お知恵をお貸しいただけるか」

 院主は落ち着いてはいたものの、心痛と疲弊とがその顔に色濃く表れていた。他に僧侶が二人ほどいたが、やはり参っているようだった。役人もそのまま同じ部屋に留まった。

「九歳にならぬ子供は、〈霊王〉が再びこの里に手を入れるようになったからこそ育ったもの。即ち、()いた種が実ったゆえに刈り取るのだと、仰せなのだ」

「その神託ってのはどういう風に届いた?」

「月に一度、この寺院の者が〈霊王〉の(やしろ)へお勤めに参る。燭台に火を灯してお出ましを願い、祈りが済めば火を消してお帰りを願う。火が点いている間にお声が聞こえ、直々にお言葉を(たまわ)ることがある」

「口頭で?」

()(よう)こちらから申し上げたことにもお答えがある。〈霊王〉がおいでになったときは薫風が吹き、自ら去られるときは燭台の火が人の手によらず消える」

 声と言葉で話すこと自体は、奇妙だとか不自然だとか、疑うほどのことではない。それこそ人身()(くう)を捧げられていた神が、(たま)りかねて姿を現し、口を()いて止めたという話もある。神託と称して僧侶たちが勝手なことを言うので、自ら喋るようにした神もある。

 とは、いえ。

「人間を供えろと人間に言うのは神であろうと非道だし、ましてや守り神のすることじゃねえな」

 トシュは断じた。

「気が悪いかもしれんが、あんたらの神は偽物かもしれん。神を騙る妖怪ってのは、古今東西に例がある」

「不敬とは言わぬ。(むし)ろそうあってほしいと思う。……だが、妖怪であったとして、だからどうだと言うのだ」

 院主は顔を(ゆが)めた。

 恐ろしい神託が下ってから、寺院の人々は繰り返し〈霊王〉の社に赴いて、何かの間違いではないかと神意を問い直し、そればかりはご容赦をと懇願してきた。豚と羊を買い上げて捧げ物として提供するのは役所であったから、役所にもこっそり報告が行った。役所としては、神託に逆らえとは言えなかったし、逆らうも従うも自由にしろと投げるわけにもいかなかった――従えと言うしか、なかった。

「子供を()()せと言ってくるようなやつだもんな。そりゃあ報復は怖い」

「過去にもお怒りを買ったことがある。五年前、捧げ物の数を減らしてはいけないかとお伺いを立てたときだ。大雨が続いて、あのときは大変だった」

「役所から打診したことだ。結局、赦しを乞うために、二十頭ずつ出す破目になった」

 院主と役人は苦い顔をした。前科ありか。

 子供たちだけなら守れよう、と院主は強気に言った。寺院までなら、寺院の敷地の中なら、法術を以て守護することはできると。子供と一緒に集めた家族もだ。寺院で世話している身寄りのない子供たちも、尼僧たちと同じ棟に寝起きしていて、今日は外へ出ないよう言ってあると。

 だが、そこまでだった。里全体となると力が及ばない。寺院はそもそも神の加護を受け取りやすいように設計されているし、普段から聖域として聖域らしく扱われているから、法術の効果も出やすいのである。それを里全体に、練った粉を伸ばすように広げることはできないし、よって住人全てを守ることもできない。

 ……だから、つまり、子供たちを守るわけにもいかないのだ。子供たちをこのまま寺院に(とど)めて〈霊王〉の要求を無視したら、守りきれない寺院の外に、何をされるかわかったものではない。里の住人を一人残らず寺院に集められないか、とも一度は考えたようだけれども、集まりきる前に〈霊王〉に気づかれるだろう。

 守りたくとも、守れぬものは。

 捨てたくないのに、捨てるのは。

「子供たちはどうやって供えろと?」

「豚と羊の代わりゆえ、同様にと。日暮れ前に、社の前に繋いで去ることになっている」

「人間の子供でそれをやれと。こいつはいよいよ妖怪に決まったな」

 トシュは腕を組むと、数秒目を閉じてから開けた。

「二つ、案がある」

 指を二本、伸ばしてみせる。

「一つ。寺院の外は俺らがどうにかする。守護系の道具がちょうど充実してるんでね。純粋に俺らだけで里全体を守ろうってのは流石に無理があるが、寺院を守る法術に乗っかる形でやればできると思う」

 セディカをマオから守るために護符を一気に消費してしまったから、護符に限らずその手の道具や材料を補充したところだ。それをまた一気に消費してしまうことになるが。

「二つ。子供たちに見せかけて偽物を差し出す。仙術ってのはまやかしと相性がいいんでな、子供たちの髪の毛を一本ずつ貰えりゃ偽物は用意できる。九歳未満の子供なら、受け答えが多少変でもバレねえだろうしな」

「三つ目」

 不意にジョイドが三本指を立てた。

「今夜は、里の人はみんな、家に()もっているんですよね。一つ目の案にさらに便乗する形で、家一軒を護符一枚で守る――というより、その家の守護を強化することもできると思います。無人の道を守る必要はないから、有人の家にその守護を回すようなものと思っていただければ」

「そりゃ、俺なら気づかれずに貼って回れるだろうが。日暮れまでに何枚描ける?」

「それは設計してみないとわからないけど。一つ目の案でざっくり里全体を守れるとしても、河に近い南の家や、寺院から遠い家の守りは強めておいた方が安心じゃない?」

 全戸の分は用意しきれなくても、一部であれば間に合うだろう。もしくは、用意できた分だけ、危険度の高い方から貼っていけばよいのだ。そういう風にジョイドは言ったが、本音なのか建前なのかは測りかねた。そんなことを言いながら、結局は全戸分の護符を描き上げるまでやめないような気もする。とはいえ、子供のいる家は大体留守になっているはずだから、本当の全戸よりは少なくてよいのだろうが。

 ともあれ、院主に向き直る。

「その上で、〈霊王〉とは俺が話をつける。どうだ」

「話をつける、と?」

「自慢じゃないが、俺は大陸の端から端までふらふらしてる風来坊でな。妖怪絡みの厄介事は何度か経験がある」

 にやりとしたのは自信ありげに見せるためだが、まるで祖父のことを言っているようだなとおかしくなったせいもあった。東の島に落ち着くずっと前、若い頃の祖父はそうしていたと聞いているので。

 院主が葛藤しているのは明らかだった。当然のことだろう、急かさずに待つ。ややあって、ようやく口を開いた。

「その言葉だけを信じて(すが)るわけには……しかし」

「あ、あの」

 いいですか、とセディカが口を挟んだ。

「証拠がないことに変わりはないですけど、トシュとジョイドは……〈錦鶏(つど)う国〉にいた妖怪を追い払っているんです」

 それは二人の妖怪退治の実績のうちで、唯一セディカが知るものであった。〈錦鶏〉は小さな国だが、院主を務めるような人物であれば、あるいは役人であれば知っているだろう。だが――。

 と、横に控えていた僧侶の一人が目を(みは)った。

「トシュ゠ギジュどのと(おっしゃ)った。聞いたことのある名だと思ったんです。先だって、〈錦鶏〉の寺院にいる知人が話していました――あの国に三年(ひそ)んでいた妖怪を退けたと」

「言い広めるようなことじゃねえだろうに」

 口ではそう言いながら、トシュはまんざらでもなかった。方士の名前までは伝わっていないだろうと思ったけれど、伝わっているのなら話も早い。

「追い払った妖怪が戻らないようにと組んだ術のことも聞いています。我々では上手く応用できませんでしたが」

「小さな国で、国王の協力もあったからな。ここ向けにアレンジするともっと複雑になるはずだ」

 院主様、とその僧侶が呼びかけた。数秒後――院主は手をつき、頭を下げた。

「お力をお貸し願いたい」

「拝むこたあない。――ご信頼、感謝する」

 言って、トシュはキイを振り返った。じれったそうに見守っていた少年は、当てられたときのようにびくっとしてから、()()()すように(あご)を突き出した。

inserted by FC2 system