高い山の上にある里を、二人連れの旅人が訪れた。里でしばらく過ごすうち、旅人の片方は里の女と恋に落ちた。

 旅人のもう片方は、二人が一緒になるものと思い、二人の身の振り方と、それに応じた自分の身の振り方とを一人考えた。女が二人の旅に加わるつもりなのか、相棒が里に(とど)まるつもりなのか。後者であれば、自分も便乗して里に住み着いたものか、一人で旅に戻ったものかと。

 だが、やがて、女が死病に侵されていることが発覚する。

 翌朝、机の上に書き置きを、崖の上に靴を残して、女はいなくなった。

 ぐるり全てを水平線が取り囲む見渡す限りの海の中に、天下唯一の大地ででもあるかのような顔をして(そび)え立っている山の、青々と豊かに繁った木々の間から、一羽の雀が矢のように飛び出した。

 一拍置いて同じ山から鷹が飛び出し、同じ速さで追いかけ、追い(すが)り、つかみかかろうとした瞬間、雀はぱたりと翼を畳み、重力に引かれて落下した。行き過ぎた鷹が大きく弧を描いて引き返そうとしている間に、落ちていく雀は膨らみ、黒ずみ、()に変わりきると再度翼を広げる。そのまま逃げていく鵜を、鷹もまた大海鶴に姿を変えて追った。

 鵜は山に突っ込み、川に突っ込んで魚になった。川の上までやってきた大海鶴は、少しだけ見失ったものを捜すようにしてから、岸辺に舞い下りて(みさご)になり、川の中をじっとみつめた。

 悠々と泳いでいた魚が、やがて鶚に気づく。羽は青くなく、頭には飾り羽がなく、足は赤くない鳥――これは、と渦を巻いて逃げ出したのが、(かえ)って鶚の目に留まった。尾は赤くなく、(うろこ)には斑点がなく、頭には星がなく、(えら)には針がない魚。

 鶚は一度空中に飛び上がると、魚目がけて急降下した。鶚は別名を魚鷹というほど、魚を()ることに長けている。が、その爪に襲われる前に魚は水蛇になり、水中を走って岸に上がった。そうと悟った鶚は丹頂鶴になって、長い(くちばし)で水蛇を(くわ)えようとし、水蛇は草の上をしゅるりと逃げてから、()(ほう)――野雁に変身した。

 丹頂鶴は硬直した、ようだった。

 鷹、大海鶴、鶚、丹頂鶴と姿を変えてきたその鳥が、次に取ったのは人間の――優美な顔立ちをした青年の姿であった。帽子は鳳凰を(かたど)り、靴は龍を象り、着物は()(ちょう)(ひな)のような淡黄色だ。帯も豪華なものであると見て取れる者は多いだろうが、額に第三の目が閉じていることは見逃されるかもしれない――人間らしくない、縦長の目なので。

「手段を選ばないやつだなあ」

 苦笑すると、不意に弾弓を構えて放つ。弾は花鴇に命中し、花鴇は後ろに、いささか大袈裟に吹き飛んだ。地面に落ちると勢いのまま転がって、二、三回転した先にあった坂をも一気に転がり落ちる。坂の下に至っても止まらずに転がり続け、道の外へ転がり出たところで、立派な廟になった。

 坂の上から、先ほどの青年が下りてきた。廟にあまり近づかずに立ち止まり、しばし、観察する。

「この山でなければ騙されそうだ、と言いたいところだが。その旗竿(ざお)は無意識なのかい、遊び心なのかい」

 人さし指をすっと伸ばして指した旗竿には――〈世界狼〉の文字があった。

 ややあって、廟がぱっと消えた。その後にはやはり青年が一人現れて、これは言い訳が効かないとばかりに頭を()く。虎の毛皮ではないが虎の毛皮に似た柄の(はかま)と、純白ではないが()()りの上着とはそれほど特徴的でもないが、額に巻いた黄色のバンダナは個性を主張していた。

 〈世界狼〉とは伝説の巨大な狼だ。どれほど巨大かと言えば、飢えて東の大地を(かじ)り取り、世界の東をほとんど海にしてしまった、とされるほどである。天の神々に、特に〈武神〉によって拘束されたと一般的に言われるが、〈武神〉の功績を水増しするためか、討伐されたと改(ざん)されることもあった。

 妖怪でなく、大妖怪なのだという問題でもなく、神獣に数えられるのだから、見上げられる存在ではあるのだが。そのために廟を建てる人間など、いないだろう。

「まさか花鴇に化けるとはね。効果的だが」

「ぎょっとする方が悪い」

 バンダナの青年は歯を()き出した。花鴇には雌しかおらず、淫乱でどんな鳥とでも交わるという俗信があるのだ。そう、俗信であることぐらいわかっているだろうに、汚らわしがる方が悪い。期待したほどの隙はできなかったけれど。

「今の花鴇に罪はないが、最初の一羽は酷かったんだぞ。元は人間の女で、姦婦であり淫婦であり、何十人の男を破滅させたか知れない」

「色香に迷う男が悪いんだろうが」

「悪意を持って誘惑してたんだから、それで擁護しようというのは厳しいよ、方士どの」

 情報を追加しつつ、最初の青年は指摘した。

「男を(たぶら)かすことができないようにと、わざわざ(つが)うべき雄のいない、この世にいない新しい鳥に変えたものを。別の種類の鳥を(たら)し込むとは思わないだろう」

「ほう。猿の分際で人間を娶ったやつと、狼の分際でその娘を娶ったやつの子孫の前でよくもべらべらと」

 公正に言えば、混血が悪いとは言っていない。が、異常であるとは言っている。自覚があるにせよ、ないにせよ。

 別の種類と番うとは思わない?

 妖怪の間では、そんなことはざらだ。

「〈天(せい)〉ともあろうお方が、そんな継ぎ接ぎに(けい)古をつけていいのかね?」

「〈天帝〉の甥といっても、わたしの父は人間だよ。君にはいささか、親近感を覚える」

「ふん」

 鼻で笑う。

「俺は祖父(じい)さんが認めてるあんたの武術を信用してるだけだ。同類扱いは御免(こうむ)るね」

「そうかい」

 相手は別段(こた)えていないようだった。

「畏れ多くも〈天甥〉殿下がお手合わせくだすったことには礼を言ってもいいが」

「それなら、もう一戦行こうか。わたしが逃げるから、君が追うといい」

 揚げ足を取られたように、青年は舌打ちをし――肩の辺りから針を引き抜くと、ひゅっとその長さと太さを増し、両端に(たが)()まった朱塗りの棒にして、構えた。

 骨休めをしに行ったはずなのだが。

 どこか釈然としない思いで、トシュ青年は雲を飛ばしていた。祖父と母とに顔を見せに行っただけだったのだ。それが何故、最終日になって、その腕は認めざるをえないが好いてはいない相手に、稽古をつけられるようなことになったのか。……その相手が、ちょうど最終日に、祖父を訪ねてきたからだが。

 方士。羽士、という言い方もある。不老不死の仙人を目指して、修行を重ねている者のことだ。人口に(かい)(しゃ)しているとは言いがたく、名乗ったところで通じない可能性を考慮するなら、仙術使い、と称した方がよいかもしれない。これはこれで主客の転倒したような呼び方ではあるけれど。

 トシュが師に就いて学んでいたのは六年ほどにすぎないから、修行を積んだと大きな顔をするのは(はばか)られるものの、鳥や魚や廟に化けたり、雲に乗って空を飛んだりするような仙術はそこそこ習得していた。これはトシュの才能ではなくて――いや、トシュの才能であるには違いないのだが、トシュの手柄ではなくて、明らかに血統の恩恵であった。祖父が仙人の中でも指折りの実力者であって、仙人となった後で子を儲けていながら神通力を失っていない上に、その子や孫にまで神通力を受け継がせてのけた化け物なのである。不老不死を会得しながら、次代を作れる意味がわからない。

 修行を怠けると資格を剥奪される、というような仕組みがあるわけではないから、師の元を離れ、仙境にも留まらず、俗世間をふらついていても、方士と称することに何の不都合もなかった。ふらついていて、親や親戚に眉を(ひそ)められる心配もなかった。最初の師は祖父であったし、母も今やその祖父に師事して修行に励む女方士なのであるから、俗世間で身を立てろとも身を固めろとも言うわけがないのである。修行に専念しろとも言われないのは、今のトシュと同じ二十代半ばには、祖父も母も修行どころか方士を志してすらいなかったためだろうか。もしくは、ただの人間のように百年も生きない想定で将来を考えていないためかもしれない。

 いずれにせよ、トシュは畑を耕すでもなく、鳥や獣を狩るでも魚を獲るでもなく、どこに居を定めることすらなしに、一人気ままに旅暮らしを楽しんでいた。否、普段は一人ではないが――今は、一人だ。たまには帰ってこいと祖父や母から圧力をかけられるでもない。たまに帰ってみたところに〈天甥〉が現れたとて、母は流石(さすが)に畏縮していたが祖父はけろりとしていて、来臨をありがたがりもしなければ、腕前を見てやろうかと言われたときに、是非受けろと強いるようなこともしなかった。めったにない機会だなと考えて頷いたのは自分なのだから――つまり、虫の好かない天神の胸を借りる破目になったのは自分のせいである。畜生。

 目指す山が見えてきて、トシュはそちらに意識を向けた。

 (ふもと)に雲を下ろし、山道に足を踏み入れる。昨日までは東の大海の中にある山に遊んでいながら、海を飛び越え、東国を飛び越え、世界の中央を占めていると自認する帝国を飛び越えて、今日は西国にある山に至るのも、方士には難しいことではない。

 何だって足で地道にてくてくと歩いているのだろう、と気づいたのは、道(のり)も半ばを過ぎてからのことだった。直行すればよかったのではないか。

 何をしているのだ、と自分に呆れるのも白々しいだろう。要するに、こちらの用事はこちらの用事で気が進まないのである。とはいえ、片づけておきたいのも本心であって、嫌ならやめればよいという単純なものではないが。

「行きたくないけど行きたいとこは、ってな」

 呟いたのは古謡の一節であった。

 知りたくないけど知りたいことは、大事な人が死んだこと。

 出たくないけど出たいのは、大事な人のお葬式。

 行きたくないけど行きたいとこは、大事な人の眠る墓。

 これが唯一の歌詞だったわけではない。バリエーションが多数あった、ということでもない。定型詩と呼ぶには緩いが、ある決まった旋律にある決まった形式の――「やりたくないけどやりたいことは」という形式の歌詞を嵌め込む、ことさら卑近な言い方をすれば一種の大喜利が、過去のある時代に流行したのである。傑作から駄作までが無数に生まれただろう中で、書物に載ったものは現代にまで伝わっているし、時代を超えても共感を呼ぶものは口伝えで生き残っていることもある。

 墓になど眠っていてほしくはないが、既に眠ってしまっているなら墓に詣でたい。

 これなどは昔も今も通用する代表例だろう。嫌ならやめろで済むほど、安直なものではない、のだ。

 ――さしずめ、会いたくないけど会いたい人は、か。

 行く手に人影を二つみつけて、トシュは目を細めた。トシュと同じく二十代半ばの、男女――どちらも見知った顔であることは遠目にもわかった。

 男性はともかく女性の方には、全身全霊で拒まれているのも明らかだったが、さりとて(きびす)を返すわけにもいかない。気が進まないのにやってきたには理由があるのだから。

 (あご)を上げて、明るい顔を作った。二人に視線を向けたまま()らさず、歩みを止めずに近づいていく。会話の成り立つ距離まで来て、にやりと笑った。

「よう。スーラ、サイ」

 友好的に出るつもりだったが、これでは(むし)ろ挑戦的であった。(もっと)も、スーラの方が何倍も、挑みかかるような剣幕でいた。明るい黄色を避けて黒にした、しかし模様はあるバンダナも、あるいは神経を逆()でしているかもしれない。黒がわざとらしく映るか、模様がいい加減に映るかで。

「何をしに来た」

「マオの墓に手を合わせに」

 言い切ってしまってから、真顔になる。

「墓はあるのか?」

「……供養塔ならある」

 返ってきた答えには微笑まれた。墓はなくとも類するものはあることを、伏せてはおけない性格なのだ。怒っていようと、恨んでいようと。

「供養塔に手を合わせていいか」

「近づくな」

 一度()がれた怒気が一気に(みなぎ)る。

「おまえたちのせいで! マオはああいう選択をした!」

 サイの方は口を()かず、そもそもトシュにはさほど関心がないようで、それよりも危ぶむような気遣うようなまなざしをスーラに向けていた。スーラはかつてと変わらないようだが、サイはかつてより落ち着いているなと思う。泡を食ってスーラを抑えようとしていたときよりも。

「わかった、俺はやめとこう。ジョイドは?」

「混ぜ返すな」

「わかった」

 トシュはまた、言った。

「二度と来るな」

 妥協も譲歩も想像できない、断固とした命令だった。

 素直に引き返そうとして、ふと止まる。

「一つ、いいか。なんで俺が来ることがわかった」

「妙な雲が近づいてきたと聞いたからだ」

 素に戻ったようにスーラは顔を(しか)めた。

「なんで直接雲で来ないで足で上がってくるんだ」

 正に自分も思っていたことだから、場違いに頬が緩んでしまう。雲を見かけた誰かにそう聞いてからつい先ほどまで、いつ来るかいつ来るかと気を張っていたのかもしれない。

「あんたに合わせる顔がないとは思ってんだよ。思い出させて、悪かったな」

 そこまで言うと、ひょいと空中に飛び上がって雲に乗った。麓まで、一気に行ってしまおう。

 〈幸いを積み上げた山〉、あるいは単に〈幸いの山〉と呼ばれる山の、中腹よりやや上にある〈雲の手前の里〉に滞在していたのは、もう四、五年は前のことだった。里よりも高くに生える薬草が目当てだったが、目当ての薬草以外にも得られるものは多かったし、里の人々も温かく受け入れてくれたから、一年以上は居座っただろうか。

 シンプルに縁起のよい「幸い」を含む地名は多いから、〈幸いの山〉と略される山も世界には多々あるだろう。この山の場合は「幸い」の代わりに「寿(ことほ)ぎ」や「めでたさ」を含んだ呼び名もあったそうで、春には花が美しく、秋には紅葉が美しく、外から見ても中から見てもすばらしい景色を(たと)えたものだったらしい。それが結局ありがちな「幸い」に落ち着いてしまったのは少々つまらない気もする。

 尤も、「幸い」を含もうと「寿ぎ」を含もうと「めでたさ」を含もうと、人が暮らしている以上――時々は、人が死ぬ。

 トシュは山の麓にある方の里で宿を取ると、幾分か所在なく、数日を過ごした。約束よりも早く来たのだし、ここで楽しく過ごせるとも思われないから、手持ち()()()は予想されたことではあったが。

 二番目の師に学んでいたときから長い付き合いの相棒とは、仲違いをしたわけではないし、同行できない用事があったわけでもなかった。年がら年中、二人きりで顔を突き合わせていても仕方ないから、時々一ヶ月ほどの別行動を取っているというだけだ。

 これは実は互いにとって、試されているということでもあるし、一種のチャンスであるとも言えた。つまり、相手にこっそり愛想を尽かしているのなら、ここで逃亡してしまえばよいのである。行かなければよい――約束の日に、約束の場所へ。

 とはいえ今回は、相棒が約束通りに現れなかったとしても、捨てられたかと落ち込むのは早計だろう。(もち)(ろん)、不測の事態に巻き込まれて動けなくなっている可能性は常に考えられるけれども、そういうことではなく。その日までに気持ちの整理をつけられなかったためかもしれない、からだ。

 相棒の恋人が死んだ場所。

 敢えて異なる側面を取り上げるなら、恋人と出会った場所でもあるし、恋人が暮らしていた場所でもある。恋人が生まれ育った場所、ではないらしい。薬草目当てにやってきて住み着いたのだと言っていて、だから君たちと同じだと笑っていた。実際に、薬草の生えているところまで案内してもらったし、薬草を始めとする草木に詳しくて、予想外にあれこれ教わったものだった。

 仙人もいるよ、めったに帰ってこないけどね、とその住処がある山頂まで連れていかれたのは、どこまで打ち解けて――互いの身の上を明かしてからだったろうか。ここまで来たはよいものの、肝腎の薬草のことを(ろく)に知らずに途方に暮れていたから、見兼ねた仙人が仕込んでくれたのだと聞いた。

 言ってしまえば、病気だったのだ。治って終わることよりも、死んで終わることの方が多い病気だったのだ。よく効く珍しい薬草が自生する山に移り住み、自分でその薬草を摘んでは調合して服用し、麓の医者にも通いながら、ついに乗り越えた少数派。……の、はずだった。

 だから、マオは恋をしたのだ。自分には未来があると信じていたから、信じられていたから、躊躇(ためら)わずに未来を思い描いたのだ。そして、だからこそ、再発を知ったとき――。

 ……スーラにしてみれば、自分たちのせいで友人を失ったことになるのだろうけれど。トシュにしてみれば、マオのせいで相棒を失うところだったとも言える。後を追うのではないか、とまで案じられた時期は短かったにせよ。

 出ていけと、悲しみよりも怒りに満ちたようなスーラに追い出されるようにして離れた〈雲の手前の里〉を、再び訪ねるのは冒険だった。

 その冒険に馬鹿正直に挑ませるようでは、相棒甲斐がないというものだろう。

 だから一足早くやってきて、先にスーラに会ったのだ。里に辿(たど)り着く前に向こうから来るとは思わなかったにせよ、結果は予想通りではあった。先に来て正解、でもあった。別に嬉しくはないが。

 ……いや。

 相棒とスーラをぶつけずに済んだのは――相棒にみすみす傷を作らせずに済んだのは、喜ばしいことには違いない。

 これでよかったのだという確信が、心を晴れやかにしてくれるわけでもなかったが。

「景気の悪い顔してるねえ」

 約束の日ぴったりに、相棒のジョイドは姿を現した。よく着ている暗い青の服でなく、喪に服するような鼠色の服を身に着けている他は、普段と変わりないようだった。

「――〈雲の手前の里〉に行ったら、スーラは怒るかな?」

「ぶちキレるな」

 肩を(すく)めて簡潔に答える。

「来るなとさ」

「そう」

 返事もあっさりしていた。

「じゃ……今日は泊まって、明日には発つかな。今日のうちに寺院に行っておくよ」

 その通りにするのだろう、あっという間にいなくなる。トシュともども旅暮らしのジョイドは、行く先々で寺院に立ち寄るのが常だ。マオの供養を頼むために。

 この様子では、二人の旅路はつつがなく再開しそうである。もしもスーラが怒りを静めていたなら、ひょっとしたらジョイドは〈雲の手前の里〉に、マオのそばに、今度こそ(とど)まったのだろうかとトシュはふと思ったが、考えても詮無いことだった。

 崖の上にマオの靴が並んでいて、崖の下に河が流れていて。

 あのとき、河まで飛び降りて、河の神なり龍王なりを呼びつけていれば、せめてマオの亡骸(なきがら)くらいは回収できたかもしれない。

 あの頃はそんな発想も自信も持っていなかった。能力は、持っていただろう。思いつけばできたはずだ、と思うから悔しい。誰彼構わず、なりふり構わずに頼っていれば、きっと少しはどうにかなったのだ。助けろと泣き(わめ)いていれば。

 存外に、世界は優しくて――あの頃思っていたよりは――手を差し伸べてくれるものだと、わかっていれば。

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