「記憶違いだったら申し訳ないんだけど、高校のとき映研だったって言ってたよね?」

 覚えていたとは。

 ドキンと胸が打つのを感じながら、そうだけど、と(とう)()はなるたけさりげなく応じた。英語の授業の最初に英語で自己紹介をして、高校時代の部活動について語った記憶は確かにある。だが、それは自分のことだから覚えているのであって、そのとき初対面であった相手の思い出話など、忘れていておかしくないのに。

「経験者に教えてもらいたいことがあって」

「いいけど、映画も撮るの?」

 軽く目を(みは)ったのは、(さく)が演劇サークルに所属しているからだ。それも、最初のサークルが不満足だったのか不自由だったのか、今のサークルにわざわざ移籍した上で、月一回というハイペースで公演を打っている。演劇一筋とまでは行かずとも、朔と言えば演劇の印象があった。

 そうじゃないんだけど、と朔は手を振った。

「元々、記録っていうか資料映像っていうか、舞台を単純に撮影してはいるんだ。それをちょっと動画らしく編集してみようかなと思って」

 舞台と映像は表現媒体としての性質が異なるのだから、舞台作品として仕上げた台本や演技や演出が、映像作品として仕立て直したときにも生きるとは限らない。だからこそ敢えて挑戦する、とは朔らしいことではあった。

 自分に教えられる程度のことは、朔であれば既に調べて承知しているのではないかとも思ったものの。

「わたしにわかることでよければ」

 桃果は笑みを浮かべた。勿論(もちろん)、と軽く返ってきた声は、気負わなくてよいのだと伝えるようだった。

 一つのクラスに束縛されず、授業ごとに解放される大学生活は、大勢に認識されていると思うと段々息が詰まってくる桃果にとって、過ごしやすくありがたいものであった。けれども一方で、知人らしい知人がほとんどできないというデメリットもある。高校までは嫌でもきまりきった顔に囲まれていて、よくも悪くも自然と互いを見知っていくことができたのだけれど。

 だから、大学における知人や友人は、桃果から距離を縮めようとしたのではなくて、向こうから働きかけてくれた相手ということになる。かといっていきなり馴れ馴れしくされたのでは打ち解けるどころか怖いばかりだから、丁(ねい)に辛抱強く付き合ってくれた相手、とも言えた。甘えたわけだ、と睨まれれば黙るしかない。

 同期の朔は同じ授業を三つほど受けていて、特に英語の授業はグループワークが多く、口を()く機会が多くなった。見るからに緊張しがちな桃果を、気遣ってくれていた、のだと思う。それだけなのに過度に(なつ)かれては困るだろうと、過剰な親しみを覚えないように桃果は自らを律していたのだが、朔が近くにいればリラックスできるようになっていったのは無理からぬことだったろう。

 演劇サークルに入っていると聞いて、公演を一度観に行った。返礼代わりのつもりで、そのときはそれきりだった。二年目の半ばに、別のサークルに移籍したと聞いて、移籍後初の公演を観に行って――魅せられた。

 直接的には、舞台の上から桃果を魅了したのは朔ではなかった。誰よりもカリスマ性を発揮していたのは知らない後輩で、後から聞いたところでは、前のサークルを抜けようと言い出した張本人であったらしい。が、一人だけ浮き上がっているように感じた覚えもないから、つまりは全員が(そん)色のない演技を披露していたわけだろう。

 いつも来てくれてるよねと朔に声をかけられたのは、移籍後のサークルの三回目の公演に足を運んだ後のことだった。サークルのちょっとした内情や、演出と広報は大抵朔が務めていることはそのときに聞いた。桃果は初めて後ろめたさを覚えずに朔と話せた気がした――親切心につけ込んで、もしくは勘違いして、寄りかかっているわけではない。彼らの舞台に()かれたのだと、自分を疑わずに言い切れた。心を鷲づかみにしたのが朔自身ではないからこそ、安心して話せるというのも、いささかねじれていたけれども。

「やっと一本編集できたよ」

 その報告を受けたのは大分経ってからで、桃果は危うく、何か礼を失したことを口走りそうになった。(もっと)も、驚いた顔を見せてしまった時点で、言葉だけ呑み込んでも意味はなかったかもしれないが。

「あれから話聞かないから、どうなったかなと思ってたの」

 多少取り(つくろ)ったものの、やめたのかなと思っていた、というのが実際のところである。

「それはね、ただただ時間がかかってたせい」

 恥ずかしげに頬を()いてから、最優先でやってたわけじゃないけど、と朔は釈明を添えた。サークルは演劇サークルなのだし、アルバイトもあっただろうし、第一、学生の本文は学業だ。

「この調子じゃあ習慣にするのは無理かな」

「この先も続けたかったの?」

「本当を言うと、台本が勿体(もったい)なくて。僕らが一度やっただけで終わるのは惜しいなって思うものが幾つかあるんだよ」

 彼らは既成の台本も使うが、サークルのメンバーが台本を書くこともあった。脚本家が二人ほどいたはずだ。中には前衛的なもの、実験的なものもあった、と一つ二つが頭をよぎって、腑に落ちた気がした。台本に惚れ込んでいるからこそ、ああした劇の演出が務まるのだろうと。

「それで、動画に?」

「動画にしたところで、どこに発表するんだっていう話なんだけどね。顔が見えてるものを、安易にインターネットに出すわけにもいかないし」

 それは言うまでもないことで、勿論最初からわかっていただろう。それでも敢えて手をつけたのは、本気だということか、未練だということか。目に見える行動に基づいて他人の内面を断定できるほど、桃果は自信家ではないし、朔を熟知してもいないが。

「でも、一本編集するのにこれだけ時間がかかるんじゃあ、選択肢にも入らないや」

 それがどうやら結論だった。慣れればもっと速く終わるのだろうし、クオリティに(こだわ)らなければ短縮できるのだろうけれどと苦笑するのは、どうしてもクオリティには拘るのだろうなと自身を推し(はか)ったのかもしれない。

 当たり障りのない相槌を打って、それで終わりにしてもよかった。それ以上のことを期待されてもいないだろう。始める前に相談をしたから、終わった後で結果を伝えた、だけのことだ。

 では、あるが。

「――あの」

 こっそり、(こぶし)を握り締める。自分から持ちかけるなど、大それたことのようだけれど。

「どんな風にしたいのか教えてくれたら、編集作業はわたしがやってもいい、けど……」

 朔に恋心を抱いている自覚が、桃果にはあった。

 朔との接点、朔との時間を持つ理由、有体に言えば口実を、いつだって一も二もなく求めているのだ。

 時間がかかるわけだ、とまず納得した。大体、元になる「記録用の映像」が四つもあることからして想定外である。舞台全体が映るものと、最前列から撮ったものと、最前列よりは下がった斜め上手からのものと、斜め下手からのものと。固定したカメラで最初から最後まで単純に撮っただけのものなら、加えられる編集はそもそも限られるだろうと思っていたのだが。

 大分細かい指示を書いてくれたから、それに従って作業をするだけ、ではあった。四つある元データのうちのどれから、何分何秒辺りから何分何秒辺りまでを、場合によってはどの部分を切り取って拡大するか――要所要所にテロップを入れるとの指定もあるが、それは朔が自分で行うと断っていた。なるほど、動画だ。例えば「短編映画として仕立て直す」のだったらこうはなるまい。

 擁護せずに言えば、彼らの演じるキャラクターはいささか類型化していて、先月の劇でも今月の劇でも、朔が編集した動画でも桃果が編集している動画でも、同じ役者が演じるものは似通っていた。プロを目指しているのではない、サークル止まりで構わない、それよりも学生でいる間に一回でも多く舞台を踏みたいのだと、朔も他のメンバーも時折口にするように、優先度、比重の問題だろう。……結局、これは擁護だろうか。

 キャラクターの差別化は足りていないとしても、一本一本の舞台は引き込まれるものだし、そこに一つの世界があるかのようだし、そこに彼らの分身が生きているかのようだ。あるいは社会問題を絡めた恋物語の世界に、あるいは言葉遊びに徹した軽妙な世界に、あるいは王道の西洋風ファンタジーの世界に、あるいはパズルを物語仕立てにしたような世界に、違う人生を生きる彼らがいる。舞台のスターシステムよりも、漫画のスターシステムに近い印象を受けると言おうか。

 といっても、所詮は桃果の主観にすぎない。愛が屋上の(からす)に及んだだけのことかもしれない。……いや、それでは循環している。彼らの舞台に、就中(なかんずく)カリスマ性あふれる後輩に惹かれたから、あのサークルの中で一番近づきやすかった朔に急接近したのではないか。前のサークルのときは、そうはならなかったのだから。

 あまり意識したくないときに気づいてしまって、桃果は何の非もないディスプレイの前で沈み込んだ。いつものこととはいえ、朔と結びつけたくなかった――他の誰より心を占めているのが朔であるなら、いずれは起こることであったかもしれないが。

 自分の感じたことをまず否定して、裏に別の、大抵はもっと醜い真相があるはずだと穿(うが)つ思考は、伯母(おば)に刷り込まれたものに違いなかった。尤も、伯母は他人の感じることを否定するのである。伯母を肯定的に評価した者にさえ、本人は認めているつもりかもしれないが、便利で使えると道具のような意味で気に入っているというのが実態のはずだ、大体「評価する」という発想自体が上から目線で思い上がりも(はなは)だしいのだと、疑いを通り越して攻撃で返すありさまだった。あのときの理屈とこのときの理屈がしばしば平然と矛盾するのは、結句、否定することが目的だからだろう。

 何か事情があったのだろう、というよりも、せめて何か事情があったためであってほしい。無論、よしんば事情があったとて、自分の方で加減して受け取れというのは、大分しんどい注文である。親よりも年上の相手から、物心づく前から同じ調子で言われ続けているのだから――親でなくて伯母でよかった、とでも思うしかない。

 伯母とは関係のない、伯母が登場する脈絡のない場面でも、伯母の呪詛は桃果に食い込んでいて、桃果の内面を何から何まで否定する。習い性になるとはよく言ったものだ。これも伯母の常(とう)句では、受け入れたのは自分自身なのだから自分自身の責任ということになるのだが。もしくは、先入観に囚われた決めつけということになる。まだ伯母に知られたわけでも何かを言われたわけでもないのに、伯母が知ったら何と言うかなど――。

 きゅっと口を引き結んで、ファイルを保存して全てのソフトを閉じた。伯母のことが意識にあるままでは、作業中にミスをしかねない。何か別のことを――そう、イメージをつかめるようにと渡されている、朔が編集した方の動画でも、観よう。

「早いね」

 その称賛はいささか不当であったかもしれない。サークルに所属していないから、費やせる時間が朔とは全然違うし、第一、桃果は経験者だ。とはいえ、褒め言葉を敢えて非難することはあるまい。伯母ではあるまいし。

「動画編集って、発注したら幾らかかるのが普通かな?」

 思いがけない質問が続いて、桃果は目を(しばたた)いた。唐突だと反省したのか、朔が意図を説明する。

「ちゃんと代金払おうと思って」

「いいよ。そんな」

 慌ててぱたぱたと手を振った。こちらはそんなつもりで、そんな心構えで取り組んでなどいないのに。いい加減にやったわけではないにせよ。

 朔は困る風もなく、といってすぐ撤回するでもなく、少し考えるようだった。

「またいつか、同じ作業をお願いしてもいいかな?」

「あ、うん、時間があれば」

「じゃあ、やっぱり払うよ。やってもらうのが当たり前になっちゃいけない」

 自分でも気づいていなかった本心を言い当てられたかのように、桃果は一瞬、固まって――泣き笑いのように口元を(ゆが)めて、じゃあ、と頷いた。

 伯母なら絶対、(さく)取だと言うと思ったのだ。桃果が自分から言い出して、たった一回頼まれただけのことであっても。朔の方をまず()き下ろすと思ったのだ。そんなことにも気づかずに、または気づいても逆らえずに、いいように使われている桃果を、その後で直接(おとし)めるか、間接的に貶めたことで満足するかはわからないが。

 朔に恋心を抱いている自覚が桃果にはあった。

 それゆえに盲目になっていないか、という懸念に答えを出すのは困難なことで、客観的に測定できるものではないし、盲目的になっている本人がそうと判断できるわけもない。

 だが、少なくとも、朔という人物は信頼に値すると――仮令(たとえ)伯母に知られたとしても、このことが証拠だと提示できると、思うと――涙がこみ上げそうだった。

<End>

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